辛辞苑
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信仰・哲学
自然主義 - しぜんしゅぎ
自然主義とは、超自然を排除し、世界を生物も鉱物もただの物質の寄せ集めと見なす硬派な見解。神話も奇跡も許さず、周囲の森や石ころに首を傾げる。自然の法則を唯一の預言者とし、その冷徹さが逆に人間の好奇心をくすぐる。何事も実験台とし、世界を疑うことで世界を愛する矛盾の美学。幻想という名のぬるま湯から脱出したい者に贈る哲学的な救命胴衣。
自体 - じたい
自体とは、すべての対象が背後に隠し持つ開かれざる箱である。他人がその中を覗き込もうとすると、「本質」と名乗る壁に阻まれる。だが多くは、その壁こそが方便に過ぎず、思考停止の証左に過ぎない。「自体」を語る者の目には、いつも誠実さより権威主義の塵が舞う。
自動書記 - じどうしょき
自動書記とは、手を動かしているのは自分ではないと錯覚したい人間の心が生み出す、インクと幻想の饗宴である。しばしば未知なる存在との交信を謳い文句にしながら、書き上げられるのは宛先不明の落書きばかり。精神世界への逃避を正当化する便利な口実であり、紙とペンを用いた最も手軽な呆れた儀式でもある。心霊現象にロマンを抱く者たちには神秘の証とされるが、その実態はイタズラ好きな無意識の共演。結局、すべての答えは書き手自身の内側からしか出てこない、という逆説的真実を秘めている。
自発的苦行 - じはつてきくぎょう
自発的苦行とは、霊的向上のために自らを不便という名の牢獄に閉じ込める行為である。現代においては、ソーシャルメディア断ちや断食など、ファッションと化した苦痛の儀式に他ならない。高尚な動機を掲げれば掲げるほど、その苦行の滑稽さは増す。快適さを拒絶することで、究極の快感を得ようとする矛盾の極北だ。
自由意志 - じゆういし
自由意志とは、自分が選んでいると思い込ませる高度に洗練された錯覚装置。人間は責任を他者に転嫁したいがため、その幻にすがりつく。倫理学者はそれを論じ、政治家はそれを利用し、日常では「自分のせいじゃない」と嘯く万能言い訳となる。そして、最新の神経科学はその主役すら怪しくしている。
自律の倫理 - じりつのりんり
自律の倫理とは、自分で決める自由を尊重すると唱えながら、その決定が他者に認められることだけを切望する高慢な教義。自己責任を美徳とする一方、失敗の尻拭いは誰か他人が行うべきだと主張する矛盾の塊。個人の意志の独立を謳いながら、実際には他人の選択肢を排除する排他性の兵器である。自律を享受する時だけ声高に主張し、誰かの自律には声を荒げて反対する無節操な倫理観。
識別 - しきべつ
識別とは、何かを他と分け隔てる高尚な試みと称しつつ、結局は自己満足のための魔法の呪文に過ぎない。人は識別することで安心を得るというが、真の安心は差異そのものにはなく、その差異を操る自分にある。皮肉にも、識別の名の下に線を引きすぎた結果、自らの視野が狭まることを人は好んで見落とす。結局、識別の真理は、境界線を引く者こそが真の境界であるという鏡のような逆説に集約される。
七元徳 - ななげんとく
七元徳とは、善良な人々が胸を張るための七つのチェックボックス。古代から中世、現代に至るまで、罪悪感を免罪するための精神的な保険として愛用され続けている。すべてを完璧に実践すれば理想の人間像に近づけるという触れ込みだが、実際にはよく忘れられる。七つの美徳はつねに空っぽのバケツとして、補充の手間ばかりを要求する。要するに、行動ではなく自己満足の装置なのだ。
七大罪 - ななだいざい
七大罪とは、人間の内奥で永遠にリサイクルされる七つの悪徳。罪悪感という名のテーマパークで、いつもチケットは無料。貪欲は財布より心を蝕み、嫉妬は隣人の成功をひそかに祝う不届き者。傲慢は自撮り棒片手に鏡の前で舞い、怠惰は明日の自分を言い訳の材料に変える。憤怒はメール送信ボタンを押すまで留まらず、暴食は冷蔵庫と自我を同時に満たす。そして色欲は悪魔の広告塔としていつも笑顔を振りまく。
執り成し - とりなし
執り成しとは、他人と神様の間に立ち、自らの祈りを通じて利害を仕切ろうとする高尚ぶった交渉術である。善意の装いをまといながら、真に求められる存在は願いではなく、影響力そのものだったと気づかせてくれる。聖職者の名の下に行われる一方的な権力行使といえなくもないが、気づけば己の虚栄が祓われる鏡でもある。
質 - しつ
質とは、価値の名のもとに権威と流行が手を結び、我々の安心を巧妙に売り渡す魔法の鏡である。高品質と謳われれば、たちまち神格化され、誰もがその言葉にひれ伏す。だがその本質は、後付けの証明書と耳障りの良いキャッチコピーが組み合わさった幻想に過ぎず、真の価値はいつも糊塗される。優れた質とは、人々がそう呼び慣らすまで、ただの虚飾の称号なのだ。
質的 - しつてき
質的とは、揺らぎを礼賛する学者たちが生み出した言葉遊び。数えることが野暮だと主張し、意味深げな形容詞を鎧に纏いながら具体的な裏付けを巧みに回避する術である。客観性の檻から逃亡しつつ、再び主観の楽園へと帰依を求める永遠の瞑想を示す呪文。定量的な証拠に乏しいほど、その神聖性は高まるという逆説さえ孕んでいる。使用する者は深遠でも、残されるのは解釈の迷宮だけである。
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