辛辞苑
ホーム
タグ
カテゴリー
このページについて
ja
#映画
ティーザー - てぃーざー
ティーザーとは、全貌の露呈をかろうじて避けつつ好奇心を最大限に刺激する短尺映像または広告。未完成の作品をチラ見せし、観客に「もっと知りたい」という渇望を植え付ける芸術的嫌がらせである。曖昧な一瞬が膨大な期待を生むと信じられ、しばしば本編の中身よりも熱狂的に語られるマジックに満ちている。
トレーラー - とれーらー
トレーラーとは、公開予定の映画やドラマの本編など、まだ観てもいない作品のエッセンスをつまみ食いさせる宣伝映像である。短尺という名の檻の中で、期待という名の野獣をひたすら刺激し、ついでにネタバレという名の毒を忍ばせる。観客の心に火をつけ、公開日まで焦燥と好奇心という燃料を撒き散らす。見終わった瞬間にはすでに本編にはもう飽きたフリをしている自分に気づくだろう。
ドキュメンタリー映画 - どきゅめんたりーえいが
虚飾を排し“真実”を語ると言いながら、視聴者の善意と罪悪感を絶妙にくすぐる映像芸術。現実の欠片を寄せ集めた一種のスクリーン上のお化け屋敷であり、最後まで席を立たせない詐術の達人。編集室の暗がりで脚色されたストーリーは、事実と演出の曖昧な境界を漂いながら、観る者の共感を養分に成長する。
ビジュアルエフェクツ - びじゅあるえふぇくつ
ビジュアルエフェクツとは、観客の目を欺くために現実をこねくり回し、ありもしない世界を生み出す幻想製造機。実際にはロケ地も俳優の汗も無視し、ピクセルの海から生まれた映像の怪物を撮影現場に忍び込ませる。観る者は気付かぬうちに騙され、嘘の風景を本物と信じ込む。制作サイドは「魔法だ」と胸を張るが、実態は連日深夜まで続くレンダリング地獄の始まりに過ぎない。エンディングクレジットには数百もの名前が並び、誰が何を足したのか永遠に謎のままである。
ビジュアルエフェクト - びじゅあるえふぇくと
ビジュアルエフェクトとは、スクリーンの向こうで不可能を可能に見せかけ、制作チームだけが真実の労苦を味わう魔法の詐欺である。爆発やモンスターがリアルに動くように見せながら、誰もその裏で泣きながらマスクを切り貼りしたアーティストには興味を持たない。大量のレンダリング待ちの間、人々は壮大な映像体験に酔い、終わると同時に何が現実で何が合成かを忘れ去る。そんな一瞬の幻想を売りつける工場。それがビジュアルエフェクトだ。
フォーリー - ふぉーりー
フォーリーとは、映像に生命を吹き込むために砂利をかき鳴らし、扉をバタンと閉める音を再現する影の魔術師である。実際には静かなスタジオで雑多な小道具を叩き合わせ、観客の無意識に嘘を刷り込む。スクリーンの向こうにあるはずの足音やガラスの破裂音は、すべてこの職人の手の中で生まれる幻想である。まさに映画の嘘を本物に変える裏方の錬金術。存在しない音に人々が拍手喝采する不思議な世界を演出する。
フラッシュバック - ふらっしゅばっく
フラッシュバックとは、過去の嫌な記憶を予告なしで上映する心のミニシアターである。感情のカンフル剤を自称しながら、当人を瞬時に泥沼へと逆戻りさせる。無差別な再上映はまるで謝罪のない無料上映会。安心と思いきや、いつの間にか傷口をえぐられ、不意打ちのリプレイは快楽と苦痛の境界線を曖昧にする。心の劇場には休憩時間などなく、終演のアナウンスも存在しない。
フレネルライト - ふれねるらいと
フレネルライトとは、舞台や映画で役者を照らす名目で、裏方たちの汗と電気代を余裕で犠牲にする光の魔手である。レンズをスライドすればビームが広がり、舞台監督は光量と熱風の二重苦で死に物狂いの調整を強いられる。気まぐれに光の焦点を変え、演者の表情をドラマティックに演出するが、そもそも誰がその細かな光量差を本当に見ているのかは定かでない。劇場の空気とともに熱を放出し、時には照明技師の眉間の汗まで蒸発させる。見えない裏方を浮かび上がらせつつ、自身は光の中でひそかに自尊心を温める、光量過剰装置の代表格である。
プレミア上映 - ぷれみあじょうえい
上映の冒頭で少数の観客に特権意識を提供するセレモニー。一般人はそのドアの外で待ちぼうけを食らい、特別枠の切符を持つ者だけが先に薄れゆくスクリーンの魔法に浸る。映画会社は「熱狂」と称し、一杯のポップコーンで金銭的興奮を煽る。総じて、演者だけでなく観客の自己愛も試される一瞬である。
ブロックバスター - ぶろっくばすたー
ブロックバスターとは、莫大な広告費とCG技術を武器に観客の期待を煽り、その実態は製作委員会と配給会社の利益相反を可視化した見世物である。巨大スクリーンの輝きは、時にストーリーの薄さを覆い隠すルビコンのような役割を果たす。シリーズ化やスピンオフ、商品化まで見据えたビジネスモデルの結晶であり、観客は巧妙に設計されたカタルシスを享受しつつも、感動の代価を長蛇の列と高額チケット価格で支払わされる。無数の予告編は、来るべき破壊的体験の前夜祭。結局は大衆の承認欲求と社交圏への属する感覚が巻き起こす集団ヒステリーの祭典でもある。
ポストクレジットシーン - ぽすとくれじっとしーん
ポストクレジットシーンとは、映画のエンドクレジットが終わった直後に”やっぱり続きがある”と観客を油断も隙もない状態に戻す、制作者最後の嫌がらせである。コミュニティでの語り草を生み出しつつ、上映館を離れた観客に約束される小さな裏切りとも呼べる。真実の断片を見せることで、あたかも深い物語が用意されていたかのような気にさせる、詐欺師的余韻の演出である。
マチネ - まちね
マチネとは、昼間の社交儀礼の名目で開かれる公演で、観客は「教養」をまといながら深夜の二日酔いを避けるためだけに集まる。出演者も観客も半醒のままで、終演後にそれぞれの虚栄を確かめ合う社交会場だ。開演が15分遅れても誰もが大人しくおしゃべりを続け、場内照明が落ちると一様に携帯を確認してしまう。客席では、本物の感動よりも写真映えの方が優先される世代のための舞台だ。舞台が始まる前の拍手は、まだ演技が始まっていない言い訳付きの先取り礼賛である。
««
«
1
2
3
4
5
»
»»