辛辞苑
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#資源
ピークオイル - ぴーくおいる
ピークオイルとは、地球が供給できる石油の量を人類の欲望が先回りし、その先行きを嘆くための流行語である。産油国の政治的駆け引きと投資家の悲観論を跳梁跋扈させ、温室効果ガス削減への本気度をあいまいにする魔法の呪文でもある。新聞の見出しを彩る割に、それを実感できる日は決して近づかない永遠の仮想敵。人々はこの言葉に不安を焼き付け、代替エネルギーの絵空事を夢見るのがお約束だ。結局、地球規模の資源問題の前では、ピークオイルとは人類の想像力のピークにほかならない。
サフィシエンシー - さふぃしえんしー
サフィシエンシーとは、必要なだけ揃っているという美名の下、人々を怠惰に陥れる魔術。持続可能性の神殿で高らかに唱えられ、実は誰も定義できない曖昧な呪文。資源を節約するどころか、『十分』の幻想に酔い、消費を正当化してしまう。将来の安全と倫理的充足を約束するという触れ込みで、実際には現在の甘えを糊塗する完璧な言い訳である。
雨水利用 - あまみずりよう
雨水利用とは、空から降り注ぐ無垢な水を宝物に仕立て上げると豪語しながら、屋根とタンクの継ぎ目から滴る冷ややかな現実を解き放つ儀式である。エコの名の下に張り巡らされるパイプ網は、庭をDIY地獄へと変貌させる。そして水道代節約の夢は、ろ過フィルタと清掃作業の悪夢に取り憑かれる人々の顛末を示す。雨水を信頼し、水道を見限ることは、もはやジョークとしか言いようのない矛盾する選択である。現代の持続可能性神話を象徴する、最もシンプルで最もこじれた環境パフォーマンスだ。
魚資源 - ぎょしげん
魚資源とは、海洋という名の巨大なスーパーマーケットに陳列された弱肉強食の産物である。政策や国際協定という名のショッピングカートに詰め込まれ、消費者の欲望によって次々と棚から取り除かれる。それでも毎年「持続可能」と唱えられながら、その量は着実に減少し続ける。海の生態系はビジネスモデルの犠牲となり、その悲鳴は漁業統計にのみ反映される。我々はただプライドを胸に「管理している」と語るだけだ。
共有資源 - きょうゆうしげん
共有資源とは、人類が均分したはずの財産がやがて取り尽くされるまで争奪戦を繰り広げる壮大な実験場である。規制という魔法の盾がなければ、誰もが財布の紐を緩め、他者の利益を無視する自由を謳歌する。結果として残るのは枯渇した海と空虚な倫理的満足感だけ。だが、口先で持続可能性を唱えつつ手は最後の一滴にまで伸ばすのが我々の真実の姿なのだ。
原油 - げんゆ
原油とは、地中深くに眠る、価値と破壊を同時に孕む黒い恵み。石油産業の秤にかけられるまで、人々の未来と地球の健康を天秤にかける物質だ。市場の気まぐれで価格が踊り、消費者の財布だけでなく政策決定者の神経をも摩耗させる。燃やすほどに地球を温め、輸送するほどに環境を蝕む、皮肉なまでの万能サプライヤー。そして追い求めるほどに人類を崖っ縁へと誘う、魔性の液体である。
資源確保 - しげんかくほ
資源確保とは、企業が未来への不安を数値化し、見えない倉庫に積み上げる儀式である。実行者は壮大な戦略会議とパワーポイントを駆使して、油断すれば砂上の楼閣となる瓦礫をさらに高く積む。必要なのは資源ではなく、その確保を称賛する言葉。誰も問わない「誰のための資源か」を問い直す余地など最初から用意されていない。
資源共有 - しげんきょうゆう
資源共有とは、美徳を装いながら、実際には責任半減と特権取得の隠れ蓑に過ぎない行為である。会議や文書の見栄えを良くし、終了後は誰かが全て背負うのが常套手段。理想論を振りかざすほど、裏では管理の手間と監視が増える矛盾に満ちている。
持続可能な漁業 - じぞくかのうなぎょぎょう
持続可能な漁業とは、魚たちの数を無限に信じ続けるための社交辞令に他ならない。科学的根拠よりもスローガンが優先される会議室の流行語。そして、魚が減っても漁師の笑顔だけは減らない奇跡の保証。海の未来を語りながら、網の目はいつしか細く、やがて心許ない代物になる。
石油備蓄 - せきゆびちく
石油備蓄とは、未来の災厄に備えると言いながら、結局は政治家と市場の都合で行き場所を変えられる高価なタンクロードショーである。国家は不足を恐れ、過剰な安心を買い込み、そして価格高騰のたびに「よく備えていた!」と自己満足しつつ、肝心のエネルギーには手をつけない聖杯である。もし戦争や暴風雨が起きても、備蓄タンクはテレビ向けにしか存在感を示さず、民衆は未だにガソリンスタンドの前で列を成すことになる。長期的に見ると、備蓄とは「将来の自分への裏切り保証」なのかもしれない。
責任ある採掘 - せきにんあるさいくつ
責任ある採掘とは、地球保護の号令の下で行われる、一見環境に優しい行為のこと。実際には、掘削機に付けられたリサイクルマークと高潔なスローガンで消費者の良心を満たす儀式である。鉱脈の深さと同じだけ透明性を欠き、環境への負荷は控えめな表舞台を離れた地下で増幅する。かつての搾取とは微妙に手法を変えただけの、新時代のエコロジカル・パフォーマンスである。
配給 - はいきゅう
配給とは、限られた資源を上から順に小分けし、「ありがたく受けろ」と押しつける儀式。市民は長い列に並び、時には運命を番号札に委ねる。公平という言葉が踊る陰で、誰かのポケットは肥え、誰かの胃袋は鳴く。権力者はこれを「思いやりの形」と名づけ、被配給者はこれを「明日の乞食練習」と呼ぶ。予約はできず、後悔は山積み。
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